横山大観 TAIKAN YOKOYAMA

  • 「霊峰飛鶴」(れいほうひかく)

近代日本画の開祖と言える3人の内の1人(菱田春草・下村観山)

日本画の大家として、横山大観が後世の画家に与えた影響は計り知れないものがあります。また日本美術界の重鎮として、日本画壇の近代化に勤めた役割も忘れてはならない大観の業績です。

■画風

横山大観といえば。まず富士を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。大観は富士について、「富士の名画というものは昔からあまりない。それは形ばかりを写すからではないだろう。富士を描くということは、富士に写る自分の心を描くことだ。心とは人格にほかならない。それは気品であり、気迫である。富士を描くということは、つまり己を描くことである。己が貧しければ富士も貧しい。私の富士も決して名画とは思ぬが、描くかぎりは全身全霊を打ち込んで描いている。理想をもって描いている。」と語っている。

豪快と緻密をあわせもち、並ぶ者の無い画格の高さ、誇り高き精神性を示す大観の作品。大観は、創作という行為を自らの精神の発露と位置づけ、剛直な線、ふくよかな線、味わい深い線を駆使し、ある時は極彩色の色を使い、ある時は色を省き、常に魂を込めて画布と闘い続けました。東洋を踏まえつつ、西洋でも理解されるような二面性を持つ絵画表現を試みた大観。古典を知り、線を知り、色を知ったうえで“新しい古典”を創出した大作家です。

■プロフィール

1868年

水戸に生まれる

1885年

私立東京英語学校入学。また、洋画家渡辺文三郎に鉛筆画を習う。

1888年

結城正明につき毛筆画を学ぶ

1889年

東京美術学校(現・東京芸術大学)第1回生として入学。

1893年

東京美術学校絵画科卒業。卒業制作は「村童観猿翁」

1896年

東京美術学校図案科助教授に任命される。

1900年

第8回連合共進会出品作品「長城」「菜之葉(都唄)」で、没線描法を試み、朦朧体と呼ばれ話題を集める。

1915年

東海道を人力車、駕籠で旅し9巻の「東海道五十三次合作絵巻」を完成する。

1923年

第10回院展に「生々流転」を発表。大観水墨画の極致と評される。

1930年

ローマ日本美術展覧会の美術使節として渡欧する。

1934年

第20回院展出品作品「虫の音」によって朝日文化賞を受賞。

1937年

第1回文化勲章を受章

1946年

第1回日展に審査員として「漁夫」を出品。

1950年

後進育成のため日本美術院に大観賞が設定される。

1958年

90歳で死去

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