01夢→実現

過去20年の新卒での
最高実績を取りたかった
青木 健人

アールビバンに出会うまでの自分

私の原点「自分にしかできないこと」

5歳から始めた剣道も、小学校で始めたバスケも。全国レベルのクラブで頑張ってきたけれど、行きたかった高校に行けなかったところで夢は終わってしまった。

高校では、顧問の先生すら剣道初心者という環境で、部活は辞めアルバイトを始めた。はじめは松屋。これが意外と体力勝負できつい。次はドトールでカフェ店員。無難なアルバイトという感じだった。

正直、心からやりたいことではなかったが、ほかにやりたいこともない。両方ともなんとなく続けていた。

仕事は正直つまらなかった。やることは一通り覚えて、マニュアル通りにこなすだけ。その通りできる人間がいれば、別に誰がやってもいい。自分が代替品になったみたいだった。そこから、自分にしかできないことって何だろうと考えるようになっていた。

昔から服が好きだった。どうせなら自分が好きなファッションに関われる場所で働いてみたいと思い、大学2年の時にはアパレルの販売員に応募した。

応募したのは、安いものでも一着2万円くらいするハイブランドだった。きちんと接客し、お話しないと、お客様には付加価値を分かってもらえない。販売というよりは、営業に近い仕事だった。

「学生バイトは募集してないから、まぁ通らないと思うけどね」。履歴書を渡した店長さんは、そう言っていた。でも、どうしても自分のやりたいことをやりたかった。面接だけでもさせてほしいと頭を下げた。

ほとんど落とすことは決定に近い。形式上設けられた面接の場では、とにかく情熱を語って訴えた。給料もいらないので働かせてほしいと懇願する自分に、人事の方は「そこまで言うならやってみようか」と根負けしてくれたようだった。それが、自分の人生のターニングポイントだった。

10年に一度の逸材

望んで入った割には、はじめは人見知りをして、お客様に声をかけるだけでも躊躇していた。でも、このままじゃダメだと思った。デザイナーの経歴、今期のシーズンテーマや材質、そういったブランドの価値を伝えなければ、お客様にとってはただ高い服で終わってしまうからだ。

出来ないなりに、営業本を買い込んで勉強しはじめた。個人の売り上げ成績が分かりやすく発表される仕組みでもあったので、売れている社員さんはやはりかっこよかった。運動を頑張っていた頃の気持ちが戻ってくる。やるからには負けたくない。大学と両立しながらも、半年間できるだけのことをした。

結果、少しずつ成長を積み重ね、フルタイムの社員さんの成績を抜き、手前味噌にはなってしまうが、10年に一度の逸材と言っていただけるようにまでなった。

営業の醍醐味

営業の面白さは、お客様に価値が伝わった瞬間にあると思う。金額に見合うメリットは必ずある。買うつもりなくただ見に来ただけのお客様にお話をして、買っていただけた時。後日お客様がお店に来てくれて、「本当に買ってよかったよ」とお礼を言ってもらえた時。この仕事のやりがいのようなものを噛みしめた。

自分にとって発見でもあったのは、営業力は決して天性の才能なんかじゃないということだ。むしろロジックを学べば、誰でもできるようになると確信した。言葉選び、立ち居振る舞い、仕草など、お客様の少しの機微も見逃さずに頭をフル回転させる。100人のお客様がいれば100通りの接客がある。絶対的な正解はなく、自分のレベルアップに限界はないところも面白かった。

アールビバンとの出会い

アールビバンとの出会いは、友人の紹介だった。面白い会社があるから、人事の人に会うだけでいいから来てほしい。そう言われてしぶしぶ連れられてきた時は、絵になんて全く興味がないから絶対に入らないと思っていた。

でも、当時の人事責任者の方とお話をした瞬間、衝撃を受けた。アートの営業はトップクラスに難しいという。「高額」で、「必需品ではないもの」を、「即決」していただかなければいけない。3つ揃った営業は、ほとんどほかにない。

学生時代、アルバイトでの営業経験がある自分から見ても、間違いなく最高難易度の仕事なのだと思った。

就職するならやはり営業職、それも若いうちから圧倒的な力をつけたいという願望があった。車や不動産、ITなどいろいろ見ていたが、直感でもこの会社には惹かれるものがあった。その日のうちに、働くことを決意した。

アールビバン入社時の夢

20代から稼いで自立したい

入社時には「20代のうちに稼いで自立する」と目標を掲げており、就職活動の軸としていたものが3つあった。

1つ目が、20代のうちに圧倒的に稼げること。
別に金の亡者になるつもりはなかったが、若いうちに経験することと年を取ってから経験することでは、同じ経験でも得られるものが段違いだと思っていたからだ。「稼げる」ということは経験の幅を広げてくれる。いろいろなことを実行するためには、早くからお金を得られる力が絶対必要だと考えていた。

2つ目は、やはり服が好きだったので、ある程度働く服装に自由度があること。

3つ目は、実力主義であること。成果を出して、早期から裁量権をいただきながら働きたかった。

アールビバンには、この3つの条件があてはまる。就職を決めた大学3年の時から、インターンシップとして働かせてもらうなか、やりたいことを全力で応援してもらってきた。日本全国の展示販売会に行かせてもらったり、人事として新卒採用に携わらせてもらったり。自分の「面白そう」「やりたい」がエンジンとなり、さまざまな扉が開いていくようだった。

アールビバンは挑戦にこれほどウェルカムな環境なのだともわかった。自分の努力で「20代のうちに稼いで自立する」ことが叶う場所だと思った。

今後の夢

歴代20年の新卒成績1位の獲得

新卒の成績1位。それだけじゃなく、自分は過去20年の新卒での最高実績を取りたかった。

最高難易度の仕事で、最高レベルの仲間のなかで、最高の実績を残したかった。

入社した4月から目標を見据えて一年、3月のおわりが近づいていた。同期の中では断トツの差をつけてトップを走っていたが、歴代新卒1位の方との成績には、あと一歩足りていなかった。

もどかしくも成す術が見つからない。もがき苦しむ自分を助けてくれたのは、両親だった。「1枚くらい買ってあげるよ」と、言ってくれたのだ。目標としていた歴代1位を手にすることができたのは、紛れもなく両親のおかげだった。

「勉強して良い大学に入り、良い会社に入るのが一番幸せだ」。思えば、そんな二人の価値観に反発し、あえて違う道を選ぼうとしていた自分がいる。少しでも打ち壊したいという思いから、両親よりも稼げるようになろうとしていた。でも、これまでの人生を振り返ってみると、全て両親に支えられていたのだとこの時気づかされた。

「お金重視」の自分が「恩返し重視」に

今、一番の夢は、育ててくれた両親と祖父母への恩返しをすることだ。具体的には、自分が生まれた時からずっと家族が住んでいる家を、全てリフォームしたい。兄弟全員が巣立った後には、両親には少しでも綺麗な空間で生活してもらいたいと思っている。

昔から、やりたいと思ったことを積極的に応援してくれる両親だった。小さい頃の剣道も防具などお金がかかるものだったはずだ。しかも、バスケと両立させてもらった。大学受験では、「本当に行きたいところだけ受ければいい、だめなら浪人でいいから」と、滑り止めも受けずに挑戦させてもらった。浪人時代の予備校も、大学4年間の学費も出してもらった。

6人の社員の夢→実現